幼少期は三姉妹の末っ子で甘えん坊でした。家庭内は常にギクシャクしていましたが、世界は自分中心に回っていると思っていた子供でした!「自由で夢多き時期」でもありました。

小中学校時代は真面目に勉強し、学級委員や軟式テニス部のキャプテンとして、責任感の大切さを学ぶと同時に競争社会の現実を実感しました。成績が良いと両親が喜んでくれるのが嬉しくて、興味あるというよりは「褒めてもらいたい」ために勉強をしていました。

高校は希望の進学校に入学したものの、そこでは頑張ってもなかなか成績が上がらず、徐々に落ちこぼれていくのを感じ、挫折を経験しました。入部した軟式テニス部でも学業との両立ができず途中で退部。学習に専念するはずが、見た目ばかりを氣にして学業に身が入らないことも多く「モテたい」との思いが強かった時期でもありました。教科による成績順のクラス分けで、一点でも多く点を取って「良い大学に行く」ことがその後の人生を決めると思い込んでいました。この頃、父が病気がちで入退院を繰り返していたので、「看護士さんになりたい」との夢もありましたが、母からとにかく進学することを希望していたため、進学の道を選びました。

大学に入学したものの特にやりたいと思えることも見つからず、学業は適当でした。ほとんどの時間はアルバイトや友人達とのおしゃべりや恋愛に費やしました。そして大学四年生の誕生日に運命の出会いが!友人達がパブでお誕生日会を開いてくれたのですが、そこで主人と出会ったのです!

主人は私と誕生日がまったく同じで、とても運命的な絆を感じました!そして何よりも、主人の優しい笑顔に一目惚れしました。その場では連絡先を交換することもなく別れましたが、大学のキャンパスで偶然の出会うことになり、交際に発展。まさに青春を謳歌していた時期でした。

大学卒業前に父が肝硬変で他界。大学卒業後に就職したものの、結婚願法がとても強く、姉二人が25歳で結婚したのをお手本に、自分も「25歳で結婚する」と決めていました。結婚願望が強かったのは、母を反面教師としていたからです。実家は兼業農家で、父亡き後は母が一人で農業も続けていました。母は根っからの働き者で、自分で立ち上げた縫製工場も経営しており、寝る間も惜しんで働いていたからです。「母のような働き詰めの人生はイヤだ」との思いから、結婚したら専業主婦になると心に誓っていました。一方で、多忙な母の身体が心配で嫁ぐことを悩んだ時期もありましたが、結局夫を選び広島に嫁ぎました。

夫は金融関係の仕事で転勤族だったため、引っ越しを繰り返しながら三人の男の子を育てました。バブル期でもあり、夫の帰宅はいつも22時過ぎ。週末はゴルフに出かけることも多く、「ああしてくれない、こうしてくれない」と夫に不満をぶつける「くれない族」の時期もありました。しかしある時、「夫を変えるのは無理」と氣づき、まず自分を変える「良い妻、良い母親」として生きることを決めました。夫には仕事に専念してもらい、子育てや家庭内のことはすべて自分がするようにしたのです。

このような流れで専業主婦でずっと過ごしてきましたが、「○○ちゃんのお母さん、○○さんの奥さん」と呼ばれることが徐々に苦痛に。もう一度何か資格を取って働きたいと思うようになり、三男が小学校高学年の時にヘルパー2級の資格を取得。パートで働くつもりが正社員になってしまい、それでも夫は働くことを応援してくれました。仕事と家庭を両立しながら、技術も徐々にスキルアップしていきました。

ヘルパーから介護福祉士、介護支援専門員となり、職場でも責任ある立場となっていきました。そんな頃、夫の両親が要介護状態となり、夫と二人で2週間おきに広島に通う遠距離介護が始まりました。「よき母」、「よき妻」の上に「よき嫁」の役割が加わったのです。それでも父を見送り、母を大阪の施設に呼び寄せ遠距離介護に終止符を打ってからは、週末に夫と二人で旅行したり、ゴルフの練習に行く余裕ができました。子ども達も大学を卒業していき、気持ち的にもとても安堵しました。人生の中でも至福のひとときだったと思います。

ところが夫との至福の時間がこれからも続くを思っていた矢先、夫が59歳である日突然旅立ってしまったのです。単身赴任先のアパートでくも膜下出血となり、一人で逝ってしまったのです…。

「何故?ひとりで死んでしまったの?」

私は答えのない問い自分自身に問い続けました。夫の体調の異変に気づけなかったことや、単身赴任でなければと後悔してもしきれない思いで自分を責めました…。「老後は夫婦で悠々自適」旅行三昧すると決めていたのに…。夫のいない老後は想像もしていませんでした。

そんな憔悴しきっていた時に、知人の紹介でモダンミステリースクールの存在を知りました。

「人は永遠の存在で、生まれることもなければ死ぬこともない」

ミステリースクール伝えているその言葉に惹かれ、私は目に見えない世界の秘密を伝える形而上学を学び始めたのです。

夫の死後、私が探し求めた問いの答えがここにあるような氣がしました。そして学びを深めるにつれ、これまでの価値観や人生観が間違っていたことに氣づき、衝撃を覚えました。

形而上学では、人は必ず自分の使命を持っていると伝えています。「自分の使命は何か?私は何のために生きるのか?」を真剣に考えるようになりました。形而上学によって私はまた人生に希望を見いだすことが出来るようになりました!

自分の心を平和に保ち、正しい知識を身に付けてもっと自由に生きるために、形而上学を人々に伝えていくために、集った人が笑顔になるために、私は居心地が良く、皆が元気になるヒーリングサロンを営んでいきたいと思っています。